書き物

六樹園 狂文

以下の解読・現代語訳・要旨は徳田武氏のご教示による。

撮影:四国大学 / 分類:20230909-J35

             六樹園
大臣と稱すれども、随身舎人も
したがへず、降魔のれいけん
ありながら、鎮坐せるやしろも
なし。まなこに顔に朱をそそぎて、
ぬきみをとってふりまはす。もし
生醉かと見てあれば、かしはもちを
ひきまどからのぞく、下戸か上戸か
わくべからぬ文武兼備の進士の
垂迹、げにちはやぶるかみのふり
あふげば、いよよ軒にたかし。
鬼すまぬ我大きみの國にては
  鐘馗の劔のぬきがひもなし

現代語訳

鐘馗殿は、大臣と称されてはいる(玄宗の夢に現れて病いを直したので、顕彰された事を言おう)が、随身舎人も従えてはいない。魔を払う霊剣を持ってはいるが(鐘馗図参照)、鎮坐する社も持ってはいない。眼や顔に朱を注いで(鐘馗図では顔が朱色になっている)、抜き身を持って振り回すので、もしかしたら悪酔いしているのかと見ていると、柏餅を引いて、引き窓から覗く(端午の節句に現れる)。で、下戸なのか上戸なのか見分けがつかない(鐘馗の滑稽化が狂文たる所以である)、という、文武兼備の進士(進士の試験に落第したが、死後に玄宗によって進士にされたという)が垂迹(現生に出現した)したものだ。実に(霊験あらたかな)神様だと振り仰ぐと、ますます軒の辺りに高く在らせられる(鐘馗像は軒に置かれる)。

要旨

大君のまします我が日本国は(唐とは違って)鬼の住まない平和な国なので、鐘馗が剣を抜いて魔を払おうとしても、その甲斐も無い事だ。
○やや国粋主義的な狂歌。

コメント

タイトルとURLをコピーしました