書き物

六樹園 天道は是か非か 狂文

撮影:四国大学 / 分類:20230909-J32

              六樹園
天道は是か非かといへりハ伯夷
伝の要文なるへし菅公のつくし筑紫
終わり給ひ屈子の汨羅にしつめる
をさへましりましりと見てこさるは
福善禍淫のお職分には御麁相と
こそ申すいふへけれ顔子の貧乏孔子の孔子の不遇顔子の貧乏
不遇ミなまさに積善の家なるへけれとさる
余殃のありしハいかに子路か孝なる横死
をなし子夏か賢なるめくらとなりぬ
孔明楠こゝろさしを遂す神皇正統記
の道理つくめも北朝うちはかあかり足利
無尽ハ落ぬあはれなにそハよけく
かるかや道心すくせ因果といふ物なら
すば天象天命の惣勘定そろはんのあふ
日ハあらしかし

20230723調査J14-2と同じ文章ではあるが別物。J14-2のよみをルビとして示す。

徳田武氏ご教示分

天道ハ是か非かといへりしハ、伯夷
傳(注1)の要文なるべし。菅公(注2)のつくしに
終り給ひ、屈子(注3)のにしづめる
をさへ、まじかくも見てござるは、
福善禍淫の御職分には御麁相と
こそ申すべけれ。顔子(注4)の貧乏、孔子の
不遇、みな積善の家(注5)なるべけれど、さる
餘殃のありしはいかに。子路(注6)が孝なる、横死(注7)
をなし、子夏(注8)が賢なる、めくらとなりぬ。
孔明・楠(注9)、こころざしをず。神皇正統記(注10)
の道理づくめも、北朝にうちは(団扇)があがり、足利
に無□ハ落ぬ。あはれなにそ
かるかや道心(注11)、すくせ因果といふ物なら
ずば、天廟の惣勘定、そろばんのあぶ
ないあかし成し。

語注

注1 『史記』伯夷伝。
注2 菅原道真。筑紫の太宰府で没す。
注3 屈原。汨羅に身を投じて亡くなった(『史記』屈原賈生列傳)。
注4 顔回。孔子の愛弟子。「賢なるかな回や、一箪の、一瓢の飲、陋巷に在り、・・・回や其の楽しみを改めず」(『論語』雍也)と、貧窮にして好学な事を孔子から褒められた。
注5 『易経』坤・文言伝の「積善の家には必ず余慶有り、積不善の家には必ず余殃有り」から、善行をつみ重ねた家には、必ず思いがけないよい事が起こり、幸福になるが、悪行をつみ重ねた家には、必ず災いが起こる。
注6 『孔子家語』致思に、子路が「親の為めに米を百里の外に負へり」とある。
注7 『史記』仲尼弟子列傳「仲由(子路の姓名)」に、子路が衛の乱で不慮の死を遂げた事を記す。
注8 『礼記』檀弓上、『史記』仲尼弟子列傳「卜商(子夏の姓名)」に、自分の子供が死亡した際に、悲しみの余り失明した事が述べられる。
注9 諸葛亮と楠正成。
注10 著者の北畠親房は南朝の公家であったが、一概に南朝を正統とするのではなく、南朝が正統であり続けるためには、自己修養を疎かにせず、欲を捨てて民のために尽くすように訓戒している。
注11 石童丸伝説中の人物。石童丸の父。俗名加藤左衛門繁氏。筑前国苅萱の武士だったが、無常を感じて出家し、高野山に入る。

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