以下の翻刻・訓読・現代語訳・コメントは徳田武氏のご教示による。
飛々江北鳧
夜半赴東畴
群翼来驟雨
為有稲粱求
乗昏言避害
不覺羽響尤
執弋誰家子
犯霜度林丘
一箭聞風發
両匹連雲頭
駭聲分飛隊
哀叫堕荒溝
潜形非不巧
招禍實有由
寄言名利客
無如息貪謀
訓読
飛々たり 江北の鳧
夜半 東畴(ちゅう)に赴く
群翼 驟雨に来たるは
稲粱の求め 有るが為なり
昏(くれ)に乗じて 言(ここ)に害を避け
羽響の尤なるを覺らず
弋(よく)を執るは 誰が家の子(し)ぞ
霜を犯して 林丘を度(わた)る
一箭 風の發するを聞き
両匹 雲頭に連なる
駭聲 飛隊分れ
哀叫して 荒溝に堕つ
形を潜む 巧みならざるに非ず
禍を招く 實に由(よし)有り
言を寄す 名利の客
貪謀を息(や)むるに如(し)くは無し
現代語訳
川の北を飛び行く鳧は、
真夜中に東のあぜ道に向かう。
群がる翼が俄雨の中に飛び来るのは、
稲や粱(あわ)を求めているからだ。
夕暮れに乗じて害を避けようとするのだが、
羽ばたきの音が飛びぬけているのに気づいていない。
いぐるみを持っているのは何者なのか。
霜を物ともせず林や丘を越えて来る。
一矢を射ると風音が聞こえて、
二羽が雲の辺りで射貫かれている。
驚き鳴いて、飛んでいる群れが分れ、
悲しげに叫んで、荒れた溝に落ちる。
形を潜めるのに巧みで無い事は無いのだが、
禍を招くには確かに理由がある。
名利を求める者に言いたい、
貪って謀略を立てるのは止める事だ。
コメント
〇五言古詩。
〇韻字 畴・求、尤・丘・頭・溝・由・謀(下平声十一尤)。
この詩は、最後を「言を寄す名利の客、貪謀を息(や)むるに如(し)くは無し」と教訓で結ぶが、それは遠回しに遠藤春足に忠告したもの、と解せなくもない。なぜなら、春足のような豪商とは、近世に於いては弾圧されやすいものだったからだ。たとえば、浪華の豪商木村蒹葭堂(元文元年、一七三六-―享和二年、一八〇二)がそうだ。『蒹葭堂日記』に見るように、大いに文人たちとの交流を享楽した彼は、倹約緊縮を志向する寛政の改革のあおりを受けて、同二年(一七九〇)、酒造統制に違反した廉で町年寄役を罷免されるという屈辱的な罰を受け、大坂を一旦離れ、伊勢長島藩領の川尻村(現在の四日市市川尻町)に転居する事になる。春足と江戸の文人たちとの交友が何時頃から始まったのかは、筆者には不明であるが、淇園の掛け軸の存在自体が証明となるように、淇園が亡くなる文化四年以前には始まっていたのかも知れない。もし、そうだとすると、派手な事は止めておけ、蒹葭堂の例があるぞ、と淇園が忠告することは、十分にあり得るのだが・・・。
語注・気付き
*皆川愿 皆川淇園 享保十九年1734~文化四年1807 江戸時代中期の儒学者。名は愿(げん)。
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