書き物軸物

(市川)米庵 四十九生辰自寿吟

以下の翻刻・訓読・語注・現代語訳は徳田武氏のご教示による。

撮影:四国大学 / 分類:20230909-J24

 四十九生辰自壽吟
  余 廿年前、相師監曰、年四十九、當春夏之交、應獲疾隕命。
  今年、値其数、自知不可逭。何圖禄料未盡。無事到九月六日。
  則余生辰也。因有此作。

有客曽相我/命終四十九/不出春夏際/劇疾倒蒲柳/厄歳知難禳
夕死可甘受/豈料天假年/誕辰傾菊酒/忽生風樹感/米嚢無由負
猶幸得侍養/七旬有慈母/身蒙宗藩擢/賜禄三百厚/双旄與鞍馬
濫列諸士首/門徒三千餘/侯伯喚我叟/蔵書三万巻/堆積似陵阜
書畫又金石/此嗜最相久/海内稀覯物/驅來為我有/吾生志願足
吾名或不朽/性自愛寒素/麥飯及 韮/肉食非不供/羶腥不邊口
有田不必買/有銭不必守/相術今無靈/且免閻羅誘/續命雖不理
更生似非偶/自幸還自喜/以之報親友/従今屡開筵/耆耄重幾壽

 丁亥重陽前三日米菴亥

訓読

余 廿年前、相師 監して曰く、年四十九、春夏の交に當りて、應に疾を獲て命をすべしと。今年、其の数に値ひ、自からるべからざるを知る。何ぞ圖らん禄料未だ盡きず。無事に九月六日に到る。則ち余が生辰なり。因りて此の作有り。

客有り て我を相す
命は四十九に終わらん
春夏の際を出でず
劇疾 蒲柳を倒さんと
厄歳 ひ難きを知る
夕べに死すとも 甘んじて受くべし 注一
豈料らんや 天 年をし
誕辰に 菊酒を傾けんとは
忽ち風樹の感を生ずるも      注二
米嚢 ふに無し        注三
猶ほ幸いに 侍養を得て
七旬 慈母有り
身には宗藩の擢を蒙り
禄を賜はる 三百の厚きを
双旄と鞍馬と
濫りに諸士の首めに列す
門徒 三千餘
侯伯 我が叟と喚ぶ
蔵書 三万巻
堆積すること 陵阜に似たり
書畫 又た金石
此の嗜み 最も相久し
海内の 稀覯の物
驅り來りて 我が有と為す
吾が生 志願足りぬ
吾が名 或ひは朽ちざらん
性自から 寒素を愛し
麥飯 及び菘韭
肉食 供へざるに非ざるも
羶腥 口に邊せず
田有るも 必ずしも買はず
銭有れば 必ずしも守らず
相術 今は靈無し
且閻羅の誘ひを免れん
命をぐは 理あらずと雖も
生を更ふは 偶に非ざるに似たり
自から幸いとし 還た自から喜び
之を以て 親友に報ぜん
今より 屡ば筵を開き
耆耄 幾壽かを重ねん

 丁亥重陽前三日米菴亥      注四

語注

注一 夕死 『論語』里仁に「朝に道を聞きては、夕べに死すとも
可なり」。
注二 風樹 父母がこの世になく、孝行のできない嘆き。静まりたいと思っても、風がやまない限り静まることができない樹木の嘆きにたとえたもの(『韓詩外伝』九)。ここは、父寛斎が亡くなっていることを言う。
注三 子路 『二十四孝』『孔子家語』致思に、孔子の弟子の子路が親のために米を百里も背負った話(「子路負米」)がある。
注四 文政十年(一八二七)九月六日。

現代語訳

私は二十年前、人相見が占って言う、四十九歳、春夏の変わり目に於いて、きっと病を得て亡くなるであろう、と。今年がその数に当たり、自分でもその運命から逃れられないと思った。思いきや、福禄がまだ尽きていなく、無事に九月六日になった。この日が私の誕生日である。そこで、この詩を作った。

ある人相見が私を占った事があった、
「命は四十九歳で終わるであろう、
春夏の変わり目を越えず、
重病を得て、病弱な体を倒す事だろう」と。
厄年というものは、払いがたい事を知っているから、
夕べに死ぬとしても甘んじて受けよう。
思いきや、天が寿命をくれて、
四十九歳の誕生日に菊酒を飲んでいようとは。
そこでふと、父寛斎が亡くなっており、
子路のように米袋を負って親を養う事ができないのを嘆いたが、
それでもなお幸いな事に老親を養う事ができて、
七十歳の慈母がおわします。
この身は加賀藩の抜擢を得て、
三百石という高禄を賜っておる。
加賀に行く際には旗二本と騎馬が許されており、
恐れ多くも諸士の先頭に立ち並ぶ。
門人は三千人余りおり、
大名さえ「老先生」と呼ぶ。
我が蔵書は三万巻もあり、
積み重ねれば丘ほどにもなる。
書画及び骨董・拓本、
これらを久しく好んでおる。
海内の稀覯品は、
搔き集めて自分の所有物としておる。
我が人生は願望が充足されており、
我が名はたぶん朽ちる事は無いだろう。
食事は、天性、質素な物を好み、
麦飯と白菜・韮である。
魚肉は用意しない事は無いが、
生臭い物は口辺に近づけない。
田地は買おうとはしないし、
金銭も惜しもうとはしない。
人相占いは、今となっては当たらず、
当分は閻魔様のお誘いは無いだろう。
寿命を延ばすのは、人相見からすれば理が無いようだが、
生命を更新してゆくのは、偶然の事ではないだろう。
自分で幸いな事とし、自分で喜んでいるが、
この事をば親友に知らせる事にしよう。
これからは度々寿宴を開いて、
六十、七十と寿命を寿齢を重ねていこう。

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