物くはて
ゐれはこそあれ
能のなき
おやちかひとり
ふえしうつし絵
六樹園
北渓画
語注・気付き
*魚屋北渓(ととやほっけい) 安永9年(1780)~嘉永3年(1850)葛飾北斎の門人。寛政12年(1800)頃の狂歌本の挿絵が初作で、以降50年に及ぶ長い作画期の大半は狂歌本、狂歌摺物の制作であった。これらは狂歌を趣味とする人たちの集まりが自作を発表するという自費出版であり、市販のものとは異なり印刷に金をかけ巧妙な掘り、摺りを施した贅沢な作りものが多かった。(以上wiki。五側とは深いつながりがある)
○肖像画の賛 おいしいものもろくろく食わないで、座ってばかりいたからだろう、無能無芸の親父が一人増えただけのこの肖像画は の意で 六樹園の自嘲的賛となっている。
徳田武氏ご教示分
物くはで
ゐればこそあれ
能のなき
おやじがひとり
ふえしうつし繪
○雅望の写実的な肖像画は初見。
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