書き物軸物

六樹園翁作 六々園記

撮影:立石恵嗣 / 分類:20230723-J3

六々園は阿波国遠藤氏の号なりとはさかひはるけき江戸のあたりにてもしらさるものハあらさンなりされとこゝら
の山川をへたてぬれはルウフルに聞とりかたく遠眼鏡のおよふへきならねは六々といふゆえよしなとハいかなることともしるものなし
おのれいまたかの国にゆきいたらされとかねて日本の絵図をうち見てその方角をはかりミるに鯰魚の腰のあたりとそしりぬる
今ハむかしおのれ此あるしのあつまくたりにおのれむさしのゝわたりに傾蓋してほりかねの井のふかきこゝろを汲ミてうれしく水の
ちかつきとハなりぬそれよりのちハ田のもの鴈のひたふるに文のゆきかひしけれは夢にたに見ぬところなから此園
中のおもむきはおほかたによくしりぬまつめぐりのついひちには八雲やへかきのたかきをくみたて泉水とつき山
にはなにはつあさか山をならへすゑたり四季にいろある木草をうゑわたしてならの葉のおちはをひろひ近體の花
実を賞すもとより鈴の屋の門にあそひてふりにし道をたつねつれは世になることハ韓文公もあきれつへしそも
そも陽春白雪を口に誦して高謾に鼻をいからすハなへて学者のならひなるをひとり歌膝の丈六を崩して
下里巴人のいけそんさいなるされ歌をしもとなふめるは小乗をもて凡夫をみちひく仏の方便にや比すへからむ此
あるしのつゝしり歌のたへなるに感じて偏袒右肩合掌してむかひぬるハなにかしくれかしとなのりして新町橋のとゝろとゝろと
三十六人の歌よミ人月はかりのほとにあつまりぬさてなんこのひとつらに六々の名をおはすへく
のおやにしあれはとて終にあるしの園の名をさへ六々とはよひそめけるさるハ四条大納言もうけひき給ふへく石川丈山もうなつきつへし
おのれとほき世界にうまれなから猶このそのゝゆかしくてとひたちぬへきこゝちするもあるしの園の花鳥のことなるいろねをしたへはなるへし
                               六樹園主人 宿屋飯盛しるす

語注・気付き

*ルウフル 拡声器、つまりメガフォン。
*歌膝(うたひざ) 歌人が短冊を持って歌を案ずる時にするように片膝を立てて座ること。立て膝。
*つづしりうた(嘰り歌) 二句ずつ切れ切れに歌うこと。またその歌。(源・末摘花に用例)
つづしる 時間をかけて少しずつ食べたりしゃべったりすること(日本国大)
*偏袒右肩 仏語。僧が、相手に恭敬の意を表す袈裟の着方で、右肩を肩脱ぎし、左肩のみを覆うこと
*四条大納言 藤原公任のこと。
*石川丈山 安土桃山~江戸初期にかけての武将・文人。

○本文は手鑑2-16-1及び『六々園漫録』所収の「六々園記」とほぼ同文。ところどころ用語に違いあり。大きく違うところは手鑑2-16-1にあった「猿人右大甚をはしめとして」の部分が本文では「なにかしくれかしして」と代わっていること。猿人右大甚の名を出すに何か憚りがあり変更したものと思われる。
○本文は右にあげた『六々園漫録』によれば「文化十年 針業右大尽の企てにより春日神社へ三十六人の狂歌額を奉納することになり以後、このグループを六々連と号し、自分の社中の名ともなった。」とあるのでその際に、飯盛が寄せた文章と思われれる。

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