書き物軸物

六樹園作 胴肝太記に関する序文

撮影:立石恵嗣 / 分類:20230723-J2

我国にてはおほなむちすくなひこなのみことを
もてくすしのおやとハあかむめれとその法もつたハらす
神農氏ときこゆるハ帝王の御すかたとも見たてまつ
らす赭鞭ひとつに木葉衣ハ夏の御袍にやおハし
ますらん張仲景はなにかしの太守ときけは表札
うちて玄関に薬とりハおくへからす和気丹波の人々ハ
しらす頓医抄あらハしゝ梶原性全の姿ハしらねと
坊主あたまにはあらさるへし????医師の薙髪する
ことはいつの代よりかはしまりけん天暦の御時長秀と
いふ異国の法師をくすしとなしてしめしけるこそ医
者の坊主のはしめなりけめ巫医百工とやすくすめ
れと病家にてハ物神のあらはれ給へることニうやまふめり
されば兼好もよき友の中にはかそへたンなれこゝにおの
れか心肝の友あり泥田坊と号し胴膽の太記となのる
けに泥田は薬艸をうゝる薗となすへし胴膽ハ
胴人形をいふと太記とハなるに此先生の妙
薬にて痩たる人も肉つきて羹准膽斗の大丈
夫となるをいふかさるハ三折のむかしより起死
回生の術にたへなれはからものゝはやしいやしけり?
し?りぬそれのミならすことのはの花さへ咲
つゝきてとほきあつまのはてまても匂ひわたり
ぬるはまことや紀の国に名たかゝる?の井の
そこふかきハ目くすり貝にてはかるへきならす
よりて禁口痢のくちをとち?これと鼓張のはら
のふくるゝをいとへは疝気の虫のねをたてゝたもふ
ところをくたしくすりいさゝかこゝにもらすに
なん
             七十五翁 六樹園主人

語注・気付き

*おほなむちすくなひこなのみこと 神名。通常オホナムチの神、スクナヒコナの神と並び称される二柱の神。(國學院大學デジタルミュージアム)
*神農 神農(しんのう)、炎帝神農(えんていしんのう)は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人。人々に医療と農耕の術を教えたという。(wiki)
*赭鞭(しゃべん)① 赤く塗ったむち。古代中国の三皇のひとり神農氏が、赤色のむちで百草をむちうち、味をためしてみたという。〔史記‐三皇本紀〕(コトバンク)
*張仲景(ちょうちゅうけい)二世紀後半の中国、漢末の医者。名は機、仲景は字(あざな)。長沙(湖南省)の長官だったといわれ、当時の医療法を伝える「傷寒雑病論」を著わす。生没年未詳。(コトバンク)
*梶原性全(かじわらしょうぜん)号は浄観。平安時代の医学に加えて新渡来の宋医学文献を渉猟。乾元1(1302)年ないしは嘉元二()に完成した「頓医抄」全仮名交じりで平易に書かれた医学全書。(コトバンク)
*禁口痢(キンコウリ)痢疾で、食べるとすぐに吐き出したり嘔吐のため摂食できないものをさす。疫痢や重症の湿熱痢でみられ、湿濁熱毒が腸中に蘊結して胃陰を損傷し、昇降が失調して発症することが多い。(家庭の中医学)

○胴膽太記(どうぎもの ふとき) 五側の撰者の一人。狂歌師・胴肝太記の主催する狂歌の催し、あるいは狂歌集のために書いた序文と思われる。胴肝太記は和歌山の薬師だったため、医学に関する歴史、人物、事項等の用語づくしとなっている。雅望死去三年前のもの。(筆跡が少しちがう)

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